FC町田ゼルビアは今年、トップチーム創設30周年を迎えました。
本コーナーではクラブ創設者の一人である守屋実相談役に、これまでの歴史を振り返ってもらいます。
どんな想いでこのクラブが作られ、市民クラブとしてどう成長し、Jリーグクラブとなり得たのか。
生き字引と言える守屋相談役からの“言霊”を心に刻み、今後の50周年、100周年につなげたいと思います。
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【第15回(最終回) 歴史的なJ1ライセンス取得。そして未来へ】
2016年のシーズンからJ2リーグに再昇格したゼルビアは、復帰初年度を7位で終えました。そして17年は16位でしたが、18年は最終節まで優勝争いを繰り広げる躍進を遂げたシーズンとなりました。特に天然芝のグラウンドがあるクラブハウスを持たないゼルビアは、J1ライセンスを有していないため、残念ながらJ1昇格の夢は叶いませんが、「結果で環境を変える」と選手たちが奮闘した姿は、多くの方々に計り知れない感動を与えました。
特に最終節の東京ヴェルディ戦には野津田に1万人を超える観衆が詰めかけました。スタンドから大勢のお客さんを見る光景は「あのゼルビアか」と“浦島太郎”にも似た感情を覚えるものですが、みなさんが喜んでいる様子を見ると、こういう光景になることを望んで始めた活動が、こうして1つの形になっていることが感慨深いです。野津田はまさに“緑と調和したスタジアム”ですし、紙の上で描いてきたことが現実なものとして目の前に広がっているこの光景を、重田貞夫先生に見ていただきたかったです。重田先生はJFLまでのゼルビアしか見ていませんから。
かつては「町田にプロサッカーチームを創る」と周りに話せば笑われることもありました。全日空の誘致が頓挫すると、携わる人たちは1人また1人と減り続け、「町田にプロサッカーチームを実現する会」が発足してからも、「まだそんなことをやっているの?」と言われることもありました。それでも、重田先生を始め、私たちの中には「地域に愛されるクラブを創るという明確なゴール」がありましたから、何度挫折を味わっても、そこから這い上がり、ブレない信念の下、トップチーム創設30周年という節目の年を迎えました。そんなゼルビアがJリーグに参入するまでの時間を思うと、今目の前に広がっている光景は隔世の感があります。
そしてクラブはまた1つの大きな転換期を迎えました。2018年10月、運営会社である株式会社ゼルビアがサイバーエージェントグループに経営参画し、2019年9月、クラブが積年の悲願として願ってきたJ1ライセンスを取得しました。トップチーム創設30周年という節目の年に、また一歩トップリーグに近づく大きな出来事があったのです。
一方で現場の成績は最終節で自力残留を決めるというシーズン18位の戦績でしたが、東京五輪イヤーでもある2020年に、J1へチャレンジする権利を得ました。そのことに安堵しています。
2020年はトップチーム創設30周年という節目を過ぎ、その先の40周年、50周年に向けて歩み始めます。クラブの創設に初めから携わっている身として、私はそこまで見ることは叶いませんが、クラブが100年を超えても、町田市に存在し続け、町田市の財産として市民の希望の存在として在り続けてほしいと思っています。
今後、クラブはJ1昇格、またJ1定着へ歩みを進める中で、予算規模も拡大していくでしょう。それでも、ゼルビアが“地域の公共財”として在り続けるためにも、クラブ、選手、サポーターの距離感の近さは、クラブ不変のスタンスとして受け継いでいってほしいことです。ナイトゲーム以外のホームゲーム後に実施しているトップチームの選手たちが戦った天然芝のピッチでサッカーを楽しめる『ふれあいサッカー』は未来永劫、クラブの伝統として続けてほしいです。またどんなにビッグクラブになろうとも、ゼルビアのアットホームな雰囲気は決してなくさずにいてほしいと思っています。
ゼルビアが地域とともに歩むクラブとして、孫の代まで応援するような、そういう光景が続いてほしい。クラブの産みの親の1人として、そうなることを切に願っています。(了)