FC町田ゼルビアは今年、トップチーム創設30周年を迎えました。
本コーナーではクラブ創設者の一人である守屋実相談役に、これまでの歴史を振り返ってもらいます。
どんな想いでこのクラブが作られ、市民クラブとしてどう成長し、Jリーグクラブとなり得たのか。
生き字引と言える守屋相談役からの“言霊”を心に刻み、今後の50周年、100周年につなげたいと思います。
-----------------------------------------
【第14回 先人たちの思いが実ったアンケート結果とJリーグ入会】
2010年、ホームスタジアムのキャパシティー問題などにより、翌2011年からのJリーグ参入断念が明るみになった後、サポーター有志によって、あるアンケートが実施されました。それは「あなたにとって、ゼルビアはどういう存在ですか?」というもの。その回答の数々を目にした時、とても勇気づけられたことを今でも鮮明に覚えています。
「地域密着」という回答が全体の約40%を占め、「生活の一部」や「なくてはならない存在」という回答がそれぞれ20%ほどに達していました。もう言葉にはできないぐらい嬉しい回答ばかりが並んでいたのです。
こうしたアンケート結果により、すでにサポーターの間ではゼルビアが“地域の公共財”となっていることが分かりました。市民が創り、地域が育ててきた歴史を礎に進化を遂げてきたクラブが市民の誇りとなっている。地域に愛されていることを実感できたことで、そうした地域の方々の思いがその後の原動力となりました。
大きな転機を踏み台として、それをバネに飛躍を遂げてきたゼルビアは2010年のJFLを3位で終えると、雪辱を期した翌2011年、ランコ ポポヴィッチ監督に率いられたチームは2年連続となるJFL3位でフィニッシュ。再び成績面におけるJリーグ参入の条件を満たしました。
その一方でクラブを取り巻くハード面は、ホームスタジアムである町田市立陸上競技場が2012年度中に改修が完了することを受けて、2011年12月、正式にJリーグ入会が承認されました。ルーツである1977年のFC町田トレーニングセンター発足から35年。ゼルビアに携わってきた人たちの思いは、プロリーグ参入へと結実したのです。
重田貞夫先生を筆頭に、ゼルビアの創設から携わってきた私たちの原動力は、町田の地域や将来を背負って立つ子どもたちのためを思い、町田の“シンボリック”な存在として、ゼルビアが在り続けられるように、先人たちの情熱が受け継がれてきました。
Jリーグ初代理事の方から「ゼルビアこそ、Jリーグの理念に基づいたクラブ」と言っていただいたことがあります。そうした言葉は、私たちにとって、最大級の褒め言葉でした。
創設以来、積年の悲願として夢見てきたプロリーグ入り。2012年、初挑戦の舞台は1年での下部リーグ降格という憂き目に遭いましたが、2014年から再びゼルビアの監督として帰還した相馬監督の下、15年にはJ2・J3入れ替え戦を勝ち抜き、J2復帰を決めました。
相馬監督の下、ゼルビアがJ2定着を果たす中、またクラブも大きな転換期を迎えることになりました。次回、コラムの最終回は、“これから”のゼルビアについて、お話ししていきたいと思います。